玉野市
(歴史)

八浜街並み保存拠点施設
常山女軍の墓
与太郎様

八浜街並み保存拠点施設
■ 八浜の歴史・町並み
⇒八浜の町は、児島湖に面し、多くの社寺群が集まる両児山の東に位置し、地区内にはかつて港でもあった元川が流れ、東に金甲山、南に大乗権山に囲まれ、落ち着いた風光明媚な環境の中にある。また早くから瀬戸内海における重要な航路の拠点として位置付けられ、十五世紀前半には集落の形成が始まったといわれている。児島湾の存在は港の機能だけでなく、漁業にも大きな恩恵を与えた。特に明治期以降には、ハイガイの養殖産業が八浜に大きな富をもたらした。また、元川の水運を利用した酒造や醤油の醸造業が繁栄し、近代には繊維・縫製産業も興った。八浜には、こうした歴史的な環境と明治初期から昭和初期を中心とする町屋や土蔵からなる伝統的な町並みが維持されているとともに、復活した「だんじり」など多くの独特の文化が蓄積されている。建物は藤原元太郎(旧八浜町長、衆議院議員)旧宅を整備したもの。八浜で生まれた「鳥人幸吉」に関する研究や行事を進める「櫻屋幸吉保存会」も組織されている。
(住) 玉野市八浜町八浜983番地(電) 0863-53-9977
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常山女軍の墓

⇒ 児島半島に美しい山容を見せ、別名「児島富士」と称される常山は児島湾が開拓される以前は、 麓まで海がせまっていた。児島半島の孤立峰であり、金甲山とともに分水嶺をなしている。
1575年 上野隆徳が城主の時、毛利方に攻められて落城しましたが このとき城主の妻以下34人の女性も勇敢に戦い、討死しました 。
頂上には「常山女軍の墓」がある。
⇒アクセス:倉敷から玉野につながる県道22号沿いに位置する。瀬戸大橋線の植松駅〜宇野線彦崎駅を過ぎしばらく進むと右手前方に見えて来る山が常山。宇野線常山駅から登る。
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与太郎様

(足腰の神様)
天正9年(1581)8月の八浜合戦の際、足の負傷が原因で命を落とした戦国期の武将、宇喜多基家を祀る。
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